November 30, 2008
「化学肥料も、害虫駆除の薬品も一切使わず育てた我が家の野菜は美味しい!」と自画自賛していたが、安心院に住む姉夫婦が送ってくる野菜を食べると、その自信がちょっと揺らいでくる。義兄も、農薬や化学肥料は一切使っていないので、条件は一緒のはずなんだけど・・・?作り手の違いもあるにはあるだろうが、やはり土と水と空気なんだと実感させられる。風土の違いが野菜の旨みにこれほどの差をもたらすとは・・・!私たちが借りている市民農園でも区画毎に、それぞれ野菜の顔が違うので一喜一憂の毎日だが、それらは施肥する物の違いでしかないので、そう問題視はしていない。化学肥料も農薬も使わない我が家の野菜は、それらを使った野菜に比べると少々見劣りはする。いや、見劣りと言ってしまっては我が家の野菜たちに申し訳ないとすれば、こじんまりしているのだ。こじんまり育った野菜を、大切に大切に収穫して頂くと“美味しい!”の一語に尽きるのだが、こうして安心院からの野菜が届き、食べ比べると、我が家の野菜の足りない点が見えてくる。ちょっと可哀想!いつだったか、野菜作りの達人が言っていた「吹く風が違う!」という言葉が思い出される。美味しい野菜を育てるのは、自然がたっぷり残った風土なのだろう。野菜だけではなく、数多の動植物すべてに言えることでもあろう。この都会の風土を今更変えることは無理だろうが、せめて美味しい野菜の育つ農地の確保だけは努力していないと大変な事になるだろう。優しい風土で育った美味しいフードを、優しい風土の日本で味合いながら生きて行きたいものだ。ちなみに、今日食べ比べた野菜は、安心院産(有機栽培)と、我が家産(有機栽培)と、人参農家産(有機栽培ではない)の三種の人参でした。色や形はさほど変わらない(我が家産はちょっと見劣りする)のに、甘さ、人参独特の味、葉の勢いに差がありました。でも、店頭に並んでいた人参との比較では、我が家の人参が大差をもって勝っていたのも事実です。人参の社会の格差でした。もう少し季節が進み、寒さが増してくれば、我が家の人参も安心院産に近づくやも知れません。おたのしみ!
| Permalink
|
| TrackBack (0)
November 21, 2008
“半Ⅹ”・・・は見つかりそうで見つからないと思っていましたが、意外にもすんなり見つかりました。
“半農”の部分は少々物足りない気もしなくはないのですが、理想通りにはいかないのが世の常・・だと、大きく妥協しました。一方、“半Ⅹ”の方は、何の取り柄もない私には難題だと思い込んでいたが何てことはない、楽しいことをやっていけばいいのだと気づき解決です。幸いにも“下手の横好きの分野”が、B型人間の私にはいっぱいあるのです。布遊び、料理、作文、作詩、健康お宅etc・・・もしかしたらもっとあるかもしれません。それらのことを日々楽しんでやっていくことが、立派な?半Ⅹに充るのではと、安易に納得したのが良かったようです。
人生の岐路に立ったとき、正しいか正しくないかではなく、楽しいかどうかで選択すれば、人は幸せになるのだそうです(斎藤ひとりさんより)。この言葉に大いに勇気をいただき、朝の目覚めも良くなりました。「今日も楽しい一日が始まった~!」と実感することで、不思議なことに、体調も運勢も良くなってきたようです。これまで正否ばかりを気にしていた自分がちょっと哀れにも思えてきます。でも、その段階があったからこそ、正否に拘らない思考回路に辿り着けたのだとも思えます。毎日、心を込めて料理をし、家事をし、手作り工房を開き、時々パソコンに文章を打ち込んでいれば、一日はあっという間に過ぎていきます。この“あっという間”を大切に生きて行くことこそ天命を全うすることではないでしょうか。
四半分は野菜つくりに、四半分は主婦業に、四半分は小物作りに、四半分はその他の楽しいことに使って100パーセントの私です。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
November 09, 2008
この地球上には5000万種の生き物がいるそうです。その中の1種類が人間です。
その人間が分をわきまえずやりたい放題の生き方をしていれば地球の運命はどうでしょうか?競争社会の現実を否定はしませんが、必要以上の競争ほど愚かしい事とは思いませんか? ライオンも生きるために他者を襲い命を繋げる営みをしていますが、明日や一ヶ月先の獲物までには手を伸ばしません。分をわきまえた天晴れなライオンの生き方です。 電車に乗ったとき、荷物を横に置き二人分の座席を分捕っている人を時々見かけますが、これも分をわきまえていないことになります。特売日に不必要な物をついつい買い込んで家の中を狭くしている。地球上の飢えに苦しむ人たちの存在を知りながら大食い番組を見たり、暴飲暴食をし生活習慣病に悩んでいる。冷蔵庫の中で眠っている食べ物を無意識に廃棄している。必要以上の貯えに翻弄され、家庭を顧みずオーバーワークの挙句体を粗末にしている。これらの事は日常的に見られることではありませんか?すべて分をわきまえていないことのように思えます。分をわきまえるなどと言うと、古臭く面倒くさいなどと思われがちですが、至って当たり前のことなのです。いつの頃からか、人にとって“当たり前”と言う言葉の基準が変わってきているのでしょうか?
志しを立てると言うことも大げさに考えなくていいと思います。折角生まれて来たのだから、何のために生まれてきたのか?何のために生きてきたのか?、どこに向かって行けばいいのか?・・・時々にでも思いを馳せることで・・・何となく命の深さに触れられるのではないでしょうか?
年をとったせいか柄にもなく、こんな自分でも人様のお役に立てることがないだろうかとふと思うことがあります。慈善家などには決してなれないまでも、お節介程度のことでも人が喜んで下さるのならと、心がけるようになっています。息子たちは「今でもお節介焼きなんだからもう充分!」という反応が返ってきそうだけれど、このお節介がもしかしたら私にとっての重大なキーワードになるかも知れない、と秘かに企んでいる所です。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
November 08, 2008
「あるもので、ないものをつくる」・・・これは半農半Ⅹという生き方を確立した塩見直紀氏の言葉です。一週間前に、未知の人だった塩見直紀さんとご縁が繋がり、「う~ん!なるほど!」と感心した次第です。40才代前半の若きパイオニアは、物静かでエネルギッシュな方でした。京都の綾部町で生活の半分は、自給自足の農業を家族で楽しみ、半分は“Ⅹ”の探求に宛てて生きているそうです。その“Ⅹ”に興味深々です。彼の場合は・・・(つまり、Ⅹは人それぞれに違う物)・・・「里山ネット・あやべ」からの情報発信にあるようです。著書は外国でも翻訳され共感を得ています。 私ごとき一介のおばさんが、ず~っと頭の中だけで妄想してきたことを、彼は33才の時に実行に移してしまったと言えます。彼の著書の支持層が30~40才代だと聞き、更に衝撃です。団塊の世代の我々が、30~40才代には何を思い、何をしていたかと言えば、ただガムシャラに生活していただけだったはずです。「専業主婦は三食昼寝つき!」などと言われる声に耳を塞ぎ、子育て、家事に没頭している振りをしながら、密かに“Ⅹ”を夢見ていたに過ぎません。還暦を迎え、やっとその“Ⅹ”に対面できる環境になったと喜んだのもつかの間、老いの障害に行く手を阻まれっ放しです。半農の部分は、何とか市民農園というささやかなもので代用は出来かかっているものの、残された半分の“Ⅹ”部分で四苦八苦しています。一時は田舎暮らしというものに憧れ、自給自足などとノタマッテいたのですが、農業向きの体ではない現実を市民農園で突きつけられました。そんな挫折感にうんざりしていた私に、塩見氏の半農半Ⅹの生き方は、地獄に仏のような福音です。半農とは、必ずしも田舎でというものではなく、都会のマンションででも展開できるもので、つまり土と空気と水で植物を育てることで、自然を生活の一環にすると言う、優しい提言です。一日の内、農に費やす時間の長短ではなく、触れることから得る自然崇拝の意識の確立なのでしょう。確かに、市民農園一年生ではありますが、野菜に相対する感情は以前にはなかったものが芽生えています。小さな小さな命との交流です。更に塩見氏曰く、肩書きを持って下さい。専業主婦にとって肩書きほど無縁のものはありません。肩書きとは組織のトップから与えられるものだとばかり思っていたからです。でも、自分で自分の肩書きを付けることの意味を、塩見氏は“Ⅹ”探しの際に気付いたそうです。何にでもすぐ飛びつくB型人間の私が見過ごすはずがありません。肩書き“専業主婦”だけでは納得いきません。何か付加を付けたいではありませんか。やはり、私にとっても“Ⅹ"は重要事項なのだと夜な夜な楽しい夢に思いを馳せる今日この頃です。いつの日にか、半農半・・・と言う肩書きの入った名刺を差し出せるようになりたいな~!
| Permalink
|
| TrackBack (0)
November 06, 2008
基本的にお米の味にはこだわらず安全性だけを求めてきたので、味の違いはたいして気にはしていませんが、幸運米はちょっと違うな!と感じました。確かに美味しい!のです。手間ひまかける無農薬米に美味しくないものはありません。それでも何かが違うように感じました。その違いは、」こだわりの栽培法と田んぼの立地条件にあるのだと思います。
(1)有用微生物活性液による田んぼの浄化 (2)竹発酵堆肥、ぼかしによる土作り (3)田植えと除草は人力とタニシで (4)追肥は、あぜ草を刈り微生物で発酵させた青草発酵液 ここまでは心ある無農薬栽培農家の手法と然程違いはありませんが、最後の条件に挙げられる最高項目が (5)田んぼの上流には生活用水を流す住宅がなく、山の清らかな水があると言う条件です。その代償と言うべきか、70枚の棚田に機械は入りません。その為農作業すべてが人力によるのです。大変な労力だと想像できます。こうして作られた美味しく、安心安全なお米ですが、その後の供給体制に行き詰っているのです。農協さんを通せば流通も楽でしょうが、それでは生計が成り立たないのです。流通段階で上乗せされる金額が、農家の人に入る金額より多くなる矛盾がそこにあるからです。日本が抱える一次産業の低迷はすべてここにあるのです。よって食料自給率がこんなに下がってしまったのです。農家の方々だけの問題ではないことが明白になってきました。
幸運米の行く末を思う時、日本の食糧体系が見えてくるようで何ともいえない気分になってしまいます。
「何とかせんば~!」と思案しつつ、私たち消費者はあっちこっちの心ある農家さんのお米を精一杯頂いていくしかないのです。天高く馬肥ゆる秋に美味しいご飯をいっぱい食べましょう!
| Permalink
|
| TrackBack (0)
November 02, 2008
食育祭のフォーラムで凄いおばさんに出会いました。高巣須磨子さんです。20年前から「食」の大切さに気づき、生ごみ発酵堆肥と竹堆肥と微生物技術での家庭菜園を実践しながら尚且つ,次世代を担う若い農業主の支援に邁進されている70歳の方です。一見して普通のおばちゃんですが、秘めたるパワーは凄いものがあります。
熊本県御船町の山間部で、一昨年より休耕田を借り、安心安全な米作りに挑戦し始めた42歳の若者の支援に奔走する毎日を送っています。山間部の小さな田んぼ70枚を機械や農薬に頼らず作ることは並大抵のことではありません。試行錯誤の末、飛びっきり安心安全で美味しいお米が収穫出来る様になっても、販売ルートの開拓までは手が回らないのが農家の悩みです。ネット販売等を難なく手がけることの出来る農家は極一部だと思います。ほとんどの米農家は農協を通しての流通がほとんどです。その流通自体に問題点の多いのも確かな現実です。都市近郊の農家なら、産直ルートなども普及している昨今なのでなんとかなるかも知れませんが、山間僻地の農家さんはそれもままならないそうです。手間ひまかけて収穫しても、農協ルートの米価ではとても採算は合いません。せっかく美味しいお米の栽培方法を見出し、汗水流して収穫しても収益が無くては継続出来ません。そんな若者が田んぼを続けるには、私たち消費者の正しい選択が必要なのです。高巣須磨子さんは必死にその事を訴え続けているのです。声を嗄らして、ガリ版刷りのわら半紙を配り、我が子を後押しする母親のように、若き米農家の支援に明け暮れているのです。
自給率アップだの農業支援だの声高に叫ばれているこの頃であっても、個人でここまで真剣に農業支援をされている方に初めてお会いし、感動以上のものを頂きました。我が家ではここ数年来、一家総出で合鴨農法の米作りをされている農家から直接お米を分けていただいているのですが、高巣さんの熱意に押され、10キロの玄米を注文しました。どちらの農家さんにも生き残っていただきたいのです。安心安全で美味しいお米が、片田舎の情熱ある農家さんたちによって作られているにも関らず、霧のかかった流通ルートにのってやってくる正体不明のお米が口に入ってくる現状を、私たち消費者が打ち消す力を持たなければと思います。
「食の誤り・食の乱れ」が社会の誤り、乱れを生み出しているのは確かです。
明日、そのお米「幸運」が我が家に届きます。熊本県御船町の吉澤幸運さんが作ったお米なので、高巣さんが「幸運」と名づけたそうです。きっと幸運と共に私の胃袋を満足させて頂けるものと確信しています。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
Recent Comments