決定権は?
人の生死の決定権はどなたが持っているのでしょうか?それが永遠の謎でした。
10月20日、私の義理の姉が突然、57歳の人生を終えました。交通事故でした。姉とは言え、年は私より若かったので、義姉妹と言うより友達のような関係だったので、その死をどう受け止めていいのか混乱しました。死ぬ二日前まで、兄と二人で四国巡礼に行き、八十八箇所をすべて廻り、般若心経の写経と手ずからの仏画を収め、あらゆる執着や煩悩を四国に預けて帰って来た直後の出来事でした。一時は、神も仏もないのだろうかと思いましたが、そうではなく、神も仏もちゃんと認めてくれた、義姉自身の選択だったのではと思えてきました。肉体波動の時点では、人にそのような決定権はないでしょうが、魂の圏内に於いては、もしかしたら有り得る事かも知れません。交通事故だったにも関らず体は無傷だったことや、脳死状態で搬送され、数時後には肉体の生命活動も停止したことに、生前からこだわっていた彼女の意志が働いたとしか思えません。二年前に乳癌の手術を受けた時も、再発予防の放射線治療は自分の意志で固辞し、自己管理に徹していた彼女です。それでも時々恐怖心に負けそうになると、電話やメールで弱音を漏らしていました。そんなことから、思う所があり巡礼の旅に出たのでしょう。満願の時点でのメールには、未だかつて無い強い意志がみなぎっていました。それほどに充実した遍路だったのでしょう。それから二日後の突然の死でした。様々な儀式の段階で兄も私も、もしかしたら本人の意思で旅立ったのではと感じられるようになりました。魂の波動がきちんとしていれば、そのような選択権をも神仏は与えて下さるのではないでしょうか。そして死ぬことが忌み嫌われるものではないことも教えてくれた義姉の死でした。生きるも死ぬも自己決定なのでしょう。 合掌


Recent Comments