鏡の前でにっこりと!
87歳の寝たきり同然の義母と、うつ病の娘が、時々ダブって見える(血の繋がりとは別に)ことがあります。自力で生きようとしているかどうかの視点で、二人は残念ながら、他力で生きるほうに片寄っているように思えるからでしょう。87歳だから、もうこれでいいとか、若いんだから、それでは駄目と言う問題ではなく、人間の生き方そのものだと思えてならないのです。
ヘルプメッセージは出してもいいけれど、同時に自力も出し続けて行ってこその人生だと思います。こんな事を思う私は、冷酷かつ強靭な人間と思われそうですが、自分で言うのもなんですが、充分思いやりも優しさも持ち合わせている弱い人間だと思ってはいるんですが・・・・?
今義母は、確実に寝たきりの状態へ向かっています。医学的に、歩く為のリハビリは打ち切られ、今は立つことだけのリハビリだけです。それも一日20分足らずの時間だけ。あとは本人の、起き上がりたいと言う内なる願望と、それに向かって発揮する自力に掛かっているにも関わらず、それがまったく無い!・・「きつい、面倒だ、寝るのが楽、でも寝たきりはいや!」その繰り返しです。日に日に顔から、精気が失われていきます。鏡も見なくなっているので、そんな顔になっているのを知らないのでしょう。
一方娘も、心の浮き沈みだけに翻弄され、本来の目標をともすれば忘れて、安きに流されてしまう時があります。その都度“ヘルプ”の手を挙げるのですが、自力を見て見ぬ振りして挙げるものだから、後ろめたさのため、その挙げ方がなんとも情けない。ここは母として辛くても、心を鬼にでも蛇にでもして、娘の自力が目覚めるのを待つしかないのです。 半年前娘の顔は、義母のように精気の薄れた顔でした。その顔を見たときのショックは忘れられません。もう二度とあんな顔は見たくありません。
親鸞聖人がいわれた他力本願とは、安易に人に頼ることではなく、人生を力強く生き抜いた人だけが、阿弥陀如来に救われるという教えであることを自覚しなければならないと思うのですが。
かく言う私も、他力本願を安易に解釈する人間ですが、ここに至って、親鸞聖人の教えを忠実に理解して行きたいと気付き、同時に娘にも、そして義母にも気付いて欲しいと願いつつ、義母と娘の顔に、精気を呼び戻すために、まず私の顔が生き生きしていないければと思い、毎日鏡の前でにーっとしている次第です。
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Posted by: katayama | September 24, 2005 at 09:34 AM