June 21, 2009
May 19, 2009
中医学の講義は興味津々で楽しいのですが、年に三回試験があると聞いてビックリ\(◎o◎)/!授業のあった日は必ずパソコンに向かってせっせとレポートにまとめていたので、試験勉強のつもりでそれを見返して更にビックリ!何一つ記憶に残っていないのです。自分の手で字を書いていなかったので覚えていないのです。それに気づき鉛筆を握り締め、始めから復習のやり直しです。中国の難しい漢字に手こずりながら、真剣そのものです。やはり字を書くという動作には素晴らしい効果があるようです。その時は理解していたはずのことが、改めてしっかり脳に入り込んでくるのを実感しました。ペンだこが出来るほど勉強した覚えはないけど、書きながら暗記をしていた大昔が甦ってきました。と同時に、この所忘れがちな漢字も思い出せるようになって来ました。便利なものを使いこなせることも大切だけれど、不便を覚悟で打ち込むことの大切さを身に沁みた次第です。日に日に失われていく脳細胞が、鉛筆の減り具合に反比例して、増えないまでも踏みとどまってさえくれれば尚幸いです。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
April 23, 2009
一年間薬膳教室に参加し、中国四千年の歴史とまではいかないけれど、何となく日本食にはない摩訶不思議さを感じた次第です。元々サッパリ系の田舎料理が口に合う性分なので、中華料理を毎日食べたいなどとは思っていない人間なのです。それで、穀物菜食に意義を見つけたくてアレコレやって来たのですが、はっきり言って効果のほどは見られません。それもそのはず、幼少期には当たり前の如く穀物菜食もどきで育っているにも関らず虚弱体質なのです。春先になると色んな持病が噴出するし、性格も“~せねばならない病”と来ては虚弱にもなるはずです。薬膳の先生の開口一番「人間は雑食動物なんだからお肉も食べなきゃ目も回るよ!」のお言葉に、単純な私は「ごもっとも!」の一語しかありませんでした。勿論、穀物や野菜の力を見限ったわけではありません。お米と野菜は、今でも私にとっては一番に感謝を捧げる食材です。薬膳の中で知ったあらゆる食材の総てを受け容れられる人間にはなれそうにありませんが、せめて中国四千年の医食同源の思想を学べればと思った次第です。
そんな一年間の取っ掛かりを元に、今年は“中医学”とやらの講座に首を突っ込んでいます。何やら難しげな講座名にちょっと臆する所もあったのですが、先生が一年間お世話になった薬膳の先生なので勢いで参加することにしました。一日三時間の講義を月に三回受けるコースを二年間です。何分にも中国の医学なので、教科書の漢字には悩みますが、英語やドイツ語ではないので何とかなるでしょう。年相応以上に脳の機能が低下していることもハンディーで、前途洋洋ではなく、前途多難のほうがぴったりの挑戦です。
それでも、始まったばかりの段階ですが、西洋医学に最も欠けている分野を重視した医学のような感触がして興味津々の金曜日です。
目が悪いと眼科、鼻は耳鼻科、内臓は内科、怪我は外科・・・etcなどと言う西洋医学界の分類ではなく、体全体から見た病態の追求、人と自然界との関係の追求から治療に入る医学と言えます。応急にはそぐわないでしょうが、体に優しい医学だと思います。
そういえば誰かが言っていた言葉を思い出しました。「人間と自然界とを分けて考えるのは違う気がする。人間も動植物も鉱物もすべてが自然そのものなんだ。」 その大切な自然を破壊しているのが、唯一人間だけであるということも忘れてはならないでしょう。中医学の中から、巡りて巡る自然の法則を学べそうな気がしています。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
March 29, 2009
今を生きる人に、最も求められるものが“変革”。それではどんな変革が求められているのだろう?人が変わることによって、これからの世界が変わるとすれば、キーマンは一体誰だろう?
スピリット・マインド・ボディーから成り立つ人間。 スピリット・・・「霊的なる魂」は変えようとして変わるものだろうか? マインド・・・「理知的な心」は変えようとすれば変わるはず? ボディー・・・「肉体」は変えようと思えば変えられるものではあろうが・・・心の持ちように関わってくる筈だから、一筋縄ではいかないだろうか?
突然こんな難しいことを考え出したのは、久し振りに“ガイアシンフォニー”のDVDで、酸素ボンベなど一切の科学的装備を使うことなく単独で、世界の8000メーター級の山々を踏破した“ランフォルト・メスナー”の言葉に改めて触れてのことです。西洋に於いては受け容れ難いと言われる“目に見えない世界”を、メスナーは苦しい登頂の度に受け容れて行ったようです。断崖を転げ落ちていく瞬間に、俗にいう幽体離脱を体験したことや、エベレスト登頂間際に雪の中で倒れた時に体験した不思議な現象に起因するようです。
私たち日本人なら、そんな目に遭わなくても、見えない世界の存在を何となく受け容れられるのではないでしょうか。それは宗教観の問題なのかも知れませんが、日本に生きていると言うだけで、特別強い信仰心など持ち合わせていなくても・・です。それなら今一番に変革を試みるのは、私たち日本人ではないでしょうか。ただし、今どきの政治家さんが口をとがらせて言っている変革とは全く違います。ミサイルらしき物が飛んで来るやら来ないやら?まだ見えていないものを敵にしてしまう愚策を弄するような政治家に、真の変革など在り得ません。かと言って、宇宙飛行士やノーベル賞を貰ったような人たちだけに託すには余りにも無理があります。特別ではない普通の人たち・・・日の出ずる国の・・・日本の人たちが、心の在り様を変えることで、もしかしたら何かが変わるのではないでしょうか・・・?!
ガイアシンフォニーを作った龍村仁さんの思惑はそんな所ではないのかな?・・・と思いつつ
ガイアシンフフォニーを鑑賞するたびに、心揺さぶられてしまいます。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
March 26, 2009
「今日という日は、昨日亡くなった人が、切に生きたいと思った一日なのです。」 ふっと耳に飛び込んできた一節です。何気なく迎えた今日という日の重さにハッとしてしまいました。いつもかつもこんな事を考えて生きることは出来なくても、時折思い起こし、今日を大切に生きるべき言葉だと痛感しました。大切に生きると言うことは、ただ生に執着するというのではなく、丁寧に生きることだと思います。ではその丁寧さを考察すると・・・はたと困ってしまいます。丁寧と言う言葉を辞書で引いてみたら、「親切で礼儀正しい態度・念入り・注意深いこと」とあります。対義語は粗略「ぞんざい・おろそか」とあります。どちらが今の自分に当てはまるかと言えば、粗略の方でしょう。あらゆることに粗略になっては居ないだろうか?心ならずも死んでしまった方々が、痛切に生きたいと願っていた今日を、粗略に生きようとしてはいないだろうか?今年もまた桜の花を愛でることが出来たことに感謝しているだろうか?・・・朝から重たいことを考えてしまったけれど、なんとなく心が軽くなった気がするのは、少しばかり丁寧な時間を見つめられたからかも知れない。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
March 25, 2009
リフォーム終了後の日課が“探し物タイム”です。工事に先駆け、家の中に定住し切っていた物を移動、或いは廃棄したのがそもそもの始まりです。当面必要なものについては再デビューさせたものの、生活して行く内に、その都度必要となる物の所在がはっきりしません。なにせ30云年の歴史の中で不用品が蓄積されていた現実を突きつけられ、気合を入れて整理したのが凶と出たようです。もちろんすっきりした部分もあるにはありますが・・・。日を追うごとに、廃棄したものへの追慕にすっきりしたとばかりは言い切れない状況続出です。
「あれ、どこだった~?」今朝も、デジカメの行方が知れず夫と二人で探し物タイムです。結果は行方知れずのまま、「♪さがしものはなんですか~♪みつけにくものですか~♪・・・」「鞄の中も机の中もあらゆる所を探したけれど見つかりません。こうなったら踊るしかありませんね。」とばかりにあきらめた私は、こうしてパソコンの前に座っています。多分引越しさせる時にポイっとどこかへ移動したのは私でしょう。お座なりにしていたデジカメなので、世を儚んで自らゴミ箱の中へでも飛び込んだやも知れないなどと意味づけしながら「ご縁がなかった」の一言で幕引き出来るのが私の得意です。それに引き換え、トコトンあきらめないのが夫です。今も探しています。割れ鍋に綴じ蓋・・・と言ってしまえば夫に失礼かもしれませんが、30云年の歴史がこんな形態を作ったのでしょう。こだわるも良し、あきらめるも良しとして今後一層増してくる忘却力に立ち向かう老人力も必要なのではないでしょうか・・・ね?
| Permalink
|
| TrackBack (0)
March 13, 2009
長い冬眠でもしていたかのように、前回の発信日から二ヶ月近くが経ってしまいました。その間、無感動に過ごしていた訳ではなく、世論に反応する日もあったのですが、言葉にならなかっただけです。世の中危ういことばかりがメディアで報じられ、神経が麻痺してしまった感もあります。
当地では今日、一番乗りで桜の開花宣言が出されました。「早すぎる!」 しかも春二番の嵐も吹き荒れています。元々世の中の流れについていくのが苦手な私には刺激の多すぎる季節到来です。毎年この時期は、心身のアンバランスから体調不良になるのが癖だったので要注意ですが、今年の私はちょっと違います。お気に入りの布遊びも、畑仕事も、それなりに楽しんでいます。還暦から一年が過ぎ、60代の暮らしに適応出来たのかも知れません。生病老死といって、人生尻すぼみになるとばかり思っていたのに、還暦とはよく言ったものです。暦が巡り巡ってスタートラインに戻ったような気分です。
そんな気分なので、築30年の我が家の台所とお風呂を思い切ってリフォームしてみました。システムキッチンとか、システムバスなどとは、生涯ご縁はないと思いながら、せっせと古ぼけた家を慈しんでいました。それはそれなりに工夫次第で住み易かったのですが、思い立ったら吉日とばかりに実行したものの、結構な手間とお金がかかってしまいヘロヘロです。それでも機能的になった部分には大いに満足しています。もうこれで田舎暮らしを羨む気分は当分お預けです。なんのかんのと言いながら、この家が終の棲家なのでしょう。
住み慣れた家ならばこその愛着かもしれません。あと2~3ヶ月すると、同時代に建ったお隣さんも7階建てのマンションになってしまいます。ここ数年、我が家の周りは、雨後の竹の子のようにマンションが建ち上がっています。100年後の町並みを想像すると恐ろしくなる状況です。
せめて我が家のような木造住宅に住む者は、昭和の名残を懐かしみながら、愛着を持って住むことに徹して行きたいものです。
明日は嵐も去って、春町公園の桜の花も競って咲き始めることでしょう。「排ガスに耐えて 今年も さくら咲く」
| Permalink
|
| TrackBack (0)
January 19, 2009
「普通の人間は無意識の内に人生を終えている!」この一節が気になり、自分自身を検証してみると確かに思い当たってしまいます。小さな事を気にする割には、意識を集中させて生きることの少なさを実感します。思春期の頃異性を意識するとか・・・の“意識”でないことを前提にすれば、全く無意識の内に生きてきたようです。そこで今年は少しでも意識的に生きてみようと思い、ではどんな事から始めればいいのか・・・?とりあえず自然を意識してみようかな?などと考えています。新聞屋さんに頂いた暦(カレンダーではありません)と、気学通の姪の知識を頼りに、自然界の常識を遵守することから始めました。畑は自然ではないと言うことは承知していますが、農事に自然界の流れは重要だと思います。以前姪からの「節分過ぎて土いじりをすべき」という言葉をふと思い出し確認すると、土用の間は30センチ以上土を耕さないほうがいいのだそうです。「土用」・・・?土用なんて夏のうなぎを食べる時期だけかと思っていたのに・・・!無智を恥じながら暦を熟読しました。土用とは、立春、立夏、立秋、立冬の前の18日間を指すのだそうですw(゚o゚)wその期間には土を掘ったり、動かしたりはしない方がいいのだそうです。ややこしい事はパスしてきた人生なので今更とも思えるけれど、余生と言われる人生に立ち入った今、少しくらいのややこしい事には関っていくべきかも知れませんね。 そう言えば手間ひまかける生き方こそが“おむすびのつぶやき”のモットーでした。スローライフが、単なるスローな動作のおばあさんになっていたのかも知れませんね^(゚ー゚; スローペースであっても、自然の流れに畏敬の念と感謝を込めて生きて行きたいものです。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
January 10, 2009
暖冬かな?と思いきや、やっと来た寒波を歓迎している、何だか元気な正月です。
何でも鵜呑みにする割には、素直でない性格ゆえ、つい余計なことを考え込んでしまい、いつも頭の中はグジャグジャ。顔で笑って心で泣くのはいつものこと。結果、自律神経が狂い、体調悪化、その繰り返しの人生だったな~! 昨夜、テレビドラマの“意地悪ばあさん”を見ていて、この手で行こうと思ったのは私だけかな?高齢化などと少々重たげに見られる世代の人間が、みんなあれくらいの気概を持てばいいのだ。意地悪はいけないことと思っていたけれど、余計な遠慮をする方がいけない事かも知れない。若者にちょっとうるさく思われようと、これまで生きて来た実績をしまい込まず、堂々とぶら下げて生きて行こう。それで摩擦が生じようが、それはそれで面白がればいい!青島幸男さんの意地悪ばあさんも良かったけど、ちょっと可愛い市原悦子ばあさん、最高だったな~。ここまで品格の下がった日本を救うのは、我等団塊世代のばあさん達かも知れませんよ。寒波が来るたびにシャキッとする私は素質充分かもしれない等と秘かにほくそ笑む正月10日でした。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
January 02, 2009
今年も、土地の神様の境内で新年を迎えました。住宅街の小さな神社で、神主さんも巫女さんも居ませんが、地域の世話役さん達と共に行く年来る年を祝うことで一年が始まります。ご利益は何も望みません。ただただ感謝です。・・・・等と言えば嘘になるかも知れませんが、60年以上生きてくれば望むものも見当たらなくなります。世界平和と生かされていることへの感謝のみで十分です。
今年は娘一家(6人)が帰省しないので、息子家族と独身息子を交えて7人でお屠蘇をしました。3人の子ども達を特別いい子宝とは思っていなかったけど、それでもこんなご時勢にあれば、やはり宝物だな~と有難く思えてきます。いい日悪い日の繰り返しが人生だとすれば、いい日が今なんだと思えます。お正月にそんな風に思えただけで「今年は春から縁起がいいや~
」
新聞の情報などあまり信用していない私には、世の中の不景気風もどこ吹く風・・・ただし、好景気の時でもどこ吹く風でしたよ。世の中の情報に左右されない生き方こそが人生の達人なのかも知れませんね。今年もこんな具合にいい加減に生きていければと思う正月です。
| Permalink
|
| TrackBack (0)
Recent Comments